みなさん、こんにちは。活性研の金井です。
男性更年期という言葉を目にする機会が増えるにつれて、私の知人の泌尿器科医師の元にも男性更年期外来の患者が増えているとのことです。
さて、そんな男性更年期障害ですが、私自身も数年前に患ったことがありますので、その体験をご紹介したいと思います。
ワーカーホリックだった頃
当時私は45歳、ビッグデータを扱うマーケティング領域のコンサル会社で働いていました。
いわゆるスタートアップ企業で、ご縁あって社員第一号で入社しました。雑居ビルの中のシェアオフィスで、4つあるデスクも高さも形もがバラバラで、まるで部室のような小さい空間の中で、4人でひしめき合って働いていました。
まだ売るものも何もない状態でしたので、売るものを作るところから始めました。いわゆる新規事業の立ち上げ。
ビーコンと呼ばれる位置情報ツールを活用した会社でしたので、それを活用してどうビジネス化するかということを試行錯誤しながら、最終的に構想が仕上がったモデルがロイヤリティプログラムでした。いわゆるCRMというやつですね。
最もメジャーなものは、auが展開してるPontaパスでしょうか。その他Tポイント(現Vポイント)、その他楽天ポイントやdポイントもあります。これを商店街向けにパッケージ化して、横展開するというものです。
友人のつてで宮崎市の商店街組合長に繋いでもらい、毎月1回羽田から宮崎空港まで飛び、ビーコンとは何か?、スマホと反応して位置情報が取得できる、それを活用して商店街に人を集め、流れを作り活性化していく。そんな説明を50〜70歳くらいの地方の商店街店主の方々にしていました。
その他にも、浅草商店街、高円寺商店街、経堂商店街など、実際に現地に行き有力者を見つけコネクションをつくり提案活動をする。その一方で、ロイヤリティプラットフォームの構築としてアプリのUI/UXの設計や開発、サーバーの構築から、リリースされたアプリの販促活動までかなり幅広く、また深く、自ら主導していました。
結局、リリースしたアプリはダウンロード数も伸びず、大ゴケしてしまいましたが。。
その次は広告事業に携わることになりました。ロイヤリティプログラムには詳しくなりましたが、デジタルマーケティングの世界は未経験で、知識を一から積み上げていかねばならず、最初はかなり苦労しました。
当時はスタートアップですので、安定して収益が上がるプロダクトがない中、VCがいる手前、売上は上げ続けないといけない。またボードメンバーは戦略コンサル出身なので、プレッシャーは相当なもので、頭も体もフル回転で朝早くから、夜は日をまたぐくらいまで働いていました。そして数年はお昼ごはんをまともに食べた記憶はなく、ハードワークの日々でした。
そういう環境でしたので、高学歴高キャリアを引っ提げて中途で入社してくる社員も大半がプレッシャーについて来ることが出来ず、メンタルを病んで1〜3数ヶ月で去っていっていました。
メンタルが削られることはありましたが、コツコツと努力することでそのうち安定して結果を出すことができるようになり、社長からも、「金井さんが一号社員でほんとうによかった」と言われたときは心底うれしかったことが思い出されます。
コロナ禍で一変した環境と体調変化
心の安寧とは程遠い日々を数年間過ごしているなか、突然やってきたのがコロナです。
マーケティングのコンサルを生業としていましたが、その中でもメインは集客支援でした。商業施設への集客や回遊促進、丸の内エリアへの集客と人流計測、スタジアム来場者へのマーケティング等、いわゆる3密を生み出し、3密があるところがビジネスのメインステージでした。
言わずもがな、我々の仕事はほとんど無くなりました。
口頭内示頂いていた案件が流れ、リードも激減し、収益を上げるための案件が失われていきました。
IPO(上場)から逆算して事業計画が敷かれていましたので、例えこのような外部環境の変化があっても、目標は必達であるため、集客せずにマネタイズできる方法を必死で考え続けていました。しかし短期的にそううまくいくはずもなく、日々会社のプレッシャーも強くなり、オフィスで息をするのもはばかられるくらいかなりストレスフルな環境になっていきました。
私が自分の体の変調に気づいたのは、2020年4月頃だったと思います。
まずクライアントの話している内容が理解できなくなりました。業務の生業の一つは、顧客の整理されていない抽象度の高い意見や情報を区別・整理し言語化する、いわゆる要件定義ですが、これが全くできなくなりました。
これはまずいと焦った私は、クライアントとの打ち合わせを録音し、何度も何度も聞き返し、全てWordにセリフとして打ち込んで、印刷し、線を引いて要件を整理していました。
しかしそんなことでは、相手の会話が理解できないことによる業務遅延は防ぐことができず、提案書の提出も遅れ、納期遅延も発生し、そのうちクライアントからのクレームも発生する状況に陥ってしまいました。
その他の症状として、不眠があります。夜、目を閉じても寝られないのです。それでも仕事とともに朝はやってきます。これにより日々睡眠時間が削られてどんどん体力が低下していきました。
また動悸も症状の一つです。会社についた途端に心臓の鼓動が激しくなり、胸が苦しいどころか痛みを感じるほどに。
その頃の私は男性更年期という存在を知らなかったため、心の病であると判断し心療内科に通うことにしました。
昔から寝るくらいなら働いていたいと本気で思っていたくらいのワーカーホリックで、メンタルは強いほうだと信じていましたので、自分が心を病んで仕事ができなくなることに強いショックを受けました。そしてこのまま社会復帰できなかったらどうしようと強く不安を抱えていました。
心療内科では、適応障害と診断され3ヶ月間の休職を余儀なくされました。その間、処方された抗うつ薬と睡眠薬を飲むことで症状を緩和し、またプライベートの外部環境を変える(*)ことで落ち着きを取り戻し、社会復帰することが出来ました。
*適応障害は、外部環境から受ける強いストレスが原因と言われている。
再発と男性更年期障害の診断
社会復帰してから3年経過した頃です。
コロナ禍は過ぎ去れど、相変わらず中途で入ってきた人は1〜3ヶ月で去っていくようなプレッシャーの強い環境は依然として変わっていませんが、一つ大きく変わったことに組織変更があります。
チームメンバーと反りが合わずに、余計なことに気を使わなければならなくなり、仕事もやりにくくなり、これまでにはない別のストレスが掛かり始めていました。
ただでさえ、プレッシャーで人が潰れるような環境であったところに、別のストレスが加わることで、数年前に適応障害になった感覚が蘇ってきました。
またあの時のようになるのかと、背筋に冷たいものが流れたことを覚えています。
この時は、男性更年期という存在を知っていたため、心療内科ではなく泌尿器科にかかることにしました。男性更年期外来と検索して、都内のクリニックが見つかりました。早速予約して初診に行くと、まずAMS診断表というものをやりました。
これは男性更年期の諸症状がどの程度出ているのかを、客観的に判断するための指標のようなものです。おぼろげな記憶ですが、かなり点数が高かったことを覚えています(点数が高いほうが症状がひどい)
その後血液検査をして、遊離テストステロン値を測ってもらいました。
一般的に、8.5pg/ML以下であれば男性更年期と判定されるのですが、私は9.0pg/MLとその基準よりは上回っていましたが、実はこの値は個人差があるため、8.5pg/ML以上であっても、男性更年期障害であることは十分にありえるということでした(*)
*遊離テストステロン値は、個人差があることと、日内変動があるため、同じ時間帯に複数回測り、自分の正常値を把握することが大切です。
値が低めであったため、医師のすすめでテストステロン補充療法という筋肉注射を接種し、外部から直接テストステロンを注入するという手法をとりました。プラセボ効果もあるかもしれませんが、私の場合は驚くほど即効性があり、数日後から心の調子が驚くほど良くなり、再び仕事にも意欲的に取り組むことができるようになりました。
ちなみに、心が回復したその数カ月後、改めて血液検査で遊離テストステロン値を測ったところ、14.1pg/MLとだいぶ高い値になっていました。
ストレスと男性更年期障害
男性更年期障害は主たる男性ホルモンのテストステロンが急減して発症しますが、その要因は2つあり、一つは加齢です。20歳前後をピークとしてそれ以降は年間1〜3%ずつ緩やかに減少します。
そしてもう一つはストレスです。昇進や降格、人事異動など仕事における環境変化もあれば、プライベートで家庭内の問題等、生きていれば様々なストレスを抱える要因がありますが、これが過度に続くことでテストステロンの急減を誘発します。
男性更年期という存在を知らない人は、以前の私のようにメンタルの問題と片付けてしまい、心療内科に通い適応障害と診断される方が多いと思いますが、実はテストステロンの急減が原因の男性更年期障害の可能性も大いにありえるのです。
日常生活の中にストレスを緩和する機会を設けることで、ストレスを貯めすぎずに上手に付き合うことが大切ですね。